「生涯を共にできる相手ではなかった・・・」
そんな思いで、28歳(1998年)のとき、子どもふたりを連れての離婚。4歳と3歳の子どもたちと私、3人の母子家庭生活がはじまった。
当時は、まだ若く「働ける体さえあればなんとかなる」と思っていたが、特別な才能も資格も経験もない私には、ひたすら時間給の仕事で働くしか術がなかった。
生活のために、少しでも多くのお金を得るために、時間労働に追われる毎日。
ダブルワーク・トリプルワークは当然のこと。
あのとき、あのころ、今のように『WEBライター』という職業があって、『ライティング』スキルを持ち合わせていたら・・・
日本は子育てする女性が働きにくい国
一子目出産後、3カ月間は主婦をしていたものの、「自分で稼ぎたい・・・」と思いながら、すぐに社会に戻りたくなり仕事を探し始める。
私は、出産前まで美容師をしていた。就職と同時に選んだ美容師という仕事は魅力的ではあるけれど、離婚した当時は時短勤務者を受け入れてくれる美容室はなかった。
美容師は土日曜日が稼ぎ時のサービス業。けれど、保育園は休園。幼少の子どもたちを預ける先は他にない。
「女性が結婚して出産をすると、国家資格も役に立たない・・・」と、子育てする女性が働きにくい日本という国に、がっかりしたことを覚えている。
だから私がその時に決めた「二子目を続けて出産してから、思いっきり働こう」の思い通り、長男(2歳半)次男の1歳の誕生日目前で保育園に預けてフルタイム勤務で働き始めた。
離婚には何の不安もなかったが心は不安定
「働ける場所がある」というだけで、女性はかなり強くなる。子どもを保育園に預けて働き始めた2年後に、離婚に至る。
とはいえ、自ら望んだ離婚でも、いろいろな葛藤が生まれて心は不安定になった。『病は気から』その通りだと、実感する。それでも、若さゆえ1年くらいで日常を取り戻す。
当時、28歳。20代で、結婚・出産・離婚と、ライフイベントの半分くらいは使い切った感があった気がしていたが、シングルマザーとして一家の大黒柱として子どもたちを養っていくこの後に続く人生の、序盤に過ぎなかった。
自分が変わらなければ「このままでは何も変わらない」
子どもたちが小学生になったときには、日中の仕事の残業を増やし、同時に夜間と週末のアルバイトも増やした。
それでも、その日暮らしの生活には変わりなく、「子どもたちの養育費の貯蓄」「家族三人の将来のための貯蓄」には程遠い。
アルバイトから、少しだけ給与が上がった契約社員になったところで、お金のことだけではなく、自分自身の仕事へのやりがいとか、将来性とか・・・見えるものは何もない。
お金だけじゃない。気持ちの上でも手元に残るものはなにもなく、むなしさを感じていた。
「働きたいのに」「働かなければいけないのに」気持ちだけでは、どうにもならない悔しさ。
生活費を稼ぐことはもちろん、同時に私自身のキャリアアップを考えたとき、自分が変わらなければ「このままでは、何も変らない」ということに気がついた。
違いに気がついたのは大手会社を目の当たりにしたとき
30代前半、技術系の派遣社員として勤務していた先は、大手の電機会社。
会社の建物の中には、キャッシュコーナーまである。賞与時期になると、正社員がこぞってキャッシュコーナーに並ぶ。
派遣社員の私の任務は、大手電機会社に勤務している正社員の人たちの、パソコンの操作指導とハードメンテナンスを行なう立場。
「社内に設置されているキャッシュコーナーで、賞与を引き出すために行列をつくっている正社員の人たちを横目で見ているだけの自分」
そんな自分に嫌気がさし、願うだけでは望む場所に行けない「世の中がおかしい」と、行き場のない怒りの中で理不尽さを感じていた。
しかし、学生のとき自分の将来・就職先を決めるとき「好きなことをやりたい」と美容師の道を選んだのは自分。福利厚生がしっかりとした、会社員を選ばなかったのも自分。
それを、今さら考えても仕方がないと感じていた。
何をやるのでもゼロからのスタート
もともと、なにも持ち合わせていないものだから何をやるのでも、ゼロからのスタート。
そんな状況だからこそ、かえって闘志が湧くもの。
それまで会社員として勤めた経験がなかったこともあり、正社員のメリットも知らず魅力も感じていなかったけれど、大手電機会社に派遣社員として勤務したことで『正社員=賞与がもらえる』ということを知った。
「そうだ!賞与がもらえる正社員になって働こう!」「他の人が正社員になれて、私になれないはずはない!」
たいした学歴もない自分が、中途採用で『正社員』をめざすことは、おそらくハードルが高いことだったと今にして思う。
けれど、根拠のない自信が私の転機となった。
その頃はまだ「正社員=安定」というイメージが、残っていた時代。
「正社員になって、やりがいのある仕事をこなししっかりと稼ぎたい」「子どもたちには、望んだ通りの進路を選択できる環境をつくってあげよう」そう、心に決めた瞬間だった。
そのときの思いがなければ、その10年後に「会社を創ろう」なんて想いも浮かばなかったように思う。
だから、私にとっては必然的な流れだったのだ。
「稼ぎたいのに!」シングルマザーは働いてはいけない?!
そんな思いの中転職を考えて、正社員になるために求人を見つけては面接にいってみる。
すると、面接官からは毎回お決まりの質問があった。
それは、「残業できますか?子どもが熱を出したとき、誰か診てくれる人はいますか?」
この問いは、シングルマザーにとっては大きなハードルだ。しかし、ハードルがあったからこそ私は諦められなかった。諦めれば、そこで終わり。
諦めずに、転職のための求職活動をし続けたことで私の人生はまたもや一転する。
特別な学歴も、際立った資格もない私がようやく正社員となり「望んでいた仕事スタイルを手に入れるためへの第一歩」を踏み出すことができるようになった。
正社員になってやりたいことは「仕事ひとつに打ち込みたい」
正社員になって、やりたいことのひとつ。
生活費のために続けてきた、夜のアルバイト(飲み屋)と週末の派遣コンパニオン。昼間の本業以外のこれらは、いつか「辞めよう」と考えていた。
夜のアルバイトが、悪いことだとは思っていない。働けるときは働き、経験したことはすべて自分の肥やしとなる。
ただ「私には、夜の仕事は向いていない」と、ずっと思ってきた。私の願いはただひとつ、「やりがいを持てる仕事ひとつに打ち込みたい」
その願いを叶えるために、私には正社員になる必要があった。
そして、正社員となったその数年後には、役職も付き給与もあがり、賞与ももらうことができた。仕事はやりがいがあって、とても楽しい。
ようやく、40歳のとき「やりがいを持てる仕事ひとつに打ち込みたい」と夜のアルバイトと、派遣コンパニオンを卒業することができた。
「シングルマザーだからできないこと」は何もない
さらに、その数年後の45歳(2015年)に、『シングルマザーとその子どもたちの「生きていく力」を後押ししたい』。
そんな想いを持ちながら、あれだけなりたかった正社員(会社員)から卒業し、会社を創立。
離婚をして、子どもが小学生のころはまだその日暮らしの生活だった。掛け持ちで仕事をこなしながら、正社員に憧れを持ち、念願叶った。
次に、自分の会社を持ち『女性が子育てしながらも働き続けられる環境づくり』をめざした。
しかし、そう簡単にすべてがうまくいくわけがなくビジネスの難しさを痛感する。
けれど、結果的にはこのとき紆余曲折したことが、私とライティングの出会いのきっかけとなった。
一家の大黒柱はいつも気持ちが張り詰めている
私が会社をつくった理由は、子どもが幼かったころの過去の私のように『仕事と子育てを両立しなければならない、葛藤』に苦しむ女性を、ひとりでも多く救いたいという想いから。
夜間、子どもたちだけで留守番をさせて仕事にでなければならなかった幼少期
子どもが発熱をしたとき、後ろ髪をひかれながら仕事に向かった小学生時代
そんな想いをしているのは、きっとシングルマザーだけではないけれど、一家の大黒柱はいつも気持ちが張り詰めているのだ。
私が会社を創ったのは、「シングルマザーや、経済的な自立を目指している女性たちの力になりたい!」という心から、沸き上がってきた想いが切っ掛けだった。
すべての仕事が命綱「副業」なんていえない
シングルマザーが、子どもたちを養っていくためには「子どもたちだけで、留守番をさせて働き続ける」しか手立てがなかったあのころ。
今は、それなりにスキルがあれば、在宅で収入を得ることができる時代。
私は、「副業」という言葉が嫌いだ。お金をいただく以上、仕事に甲乙はつけられないからだ。
いくつも掛け持ちをしながら仕事をしてきた私にとっては、2つの仕事、3つの仕事ができることはありがたかった。
シングルマザーにとっては、すべての仕事が命綱。仕事に甲乙はつけられない。
2つのハンデがあるからこそ受け入れる
シングルマザーであっても、昔から高収入の人はいるだろう。しかし、9割9分シングルマザーのひとり親家庭は、高収入とはいえない。
なぜなら、社会の中では「女性」というハンデ、「ひとり親」というハンデ。この二つがあることで「働きたくても働けない」という現実がある。
これをどうやって乗り越えるか・・・
いや、乗り越えるのではない。受け入れながら稼ぐ力を身に付けていくのだ。
「子どもは大切」その先の「私の人生も大切」
昔も今も、シングルマザーは、「ダブルワーク・トリプルワーク」と、働いている時間がとても長い。
だったら、時間から時間「とにかく働くだけ」よりも自分を磨くことができる仕事で、収入を得られる方がいい。
子どもはいつまでも、子どものままではない。「わたし」がひとりの人生を生きなくてはいけない時がくる。
私は、すでに会社員のときにいくつかの成功体験を積み上げ、両親が揃っている家庭並みに年収を上げることもできた。
しかし、それはあくまでも他人がつくった会社の中で、看板があってこその実績だ。
会社員を卒業し、それまでの実績も通用しなくなったからこそ、『一生モノの技術』『手に職』は必須だ。
『ライティング』と出会えたから『技術』を身に付けたから、会社が会社らしく動くようになった。
その先の人生を見据えながら生きていくこと
その先の「わたし」に、繋げていくことができるのは毎日積み重ねてきた、経験とスキルしかない。
『ライティング』と出会えたことで、私はさらに人生が大きく変わった。つまり、自己実現を叶えることができたのだ。
だからこそ、いまこうして心から『誰かの役に立ちたい』と思えるようになったわけだ。
ライティングスキルは、決して自分を裏切らない。やればやるほど、価値が高まり永遠に対価に換えることができる。
ライティングスキルを活かしたライターという働き方
自己実現を叶えられる理由は、5つある。
- 一生モノの技術であるため実績と経験を積むことで仕事に困ることのない職業である
- パソコンとインターネット環境があればリモートワークにも対応可能な職業
- AI化されにくく仕事が海外流出しないため社会情勢が変わっても影響を受けにくい
- 収入の柱を増やしていくことができる・営業ツールや収益サイトを構築できる
- 資金が不要で売上のほとんどが収益になる
そんな強力なスキルを、私が離婚した当時は、このライティング力をフルに活かすことができる場所がなかった時代。
時は流れ・・・
『SEO』『ライティングスキル』は『女性が幸せになるための最強の武器』といっても過言ではない。
この、時代の流れを活かさない手はない。
女性だからこそ、経済力が必要。それは、いつ如何なる環境下でも「生きていける術」となる。